私には、若い頃からずっと気になっていることが、まあいろいろあるんですが、そのうちのひとつに「大人になると、俳優とかカメラマンって「かっこいい」と思われる存在なのに、中高生のときは写真同好会とか演劇同好会(大抵、部にもなっていない)は、なぜあんなにダサイと思われるのだろう」というのがありました。
こんなにも子どもと大人の世界で見方の変わるものってあるだろうか。
私は美大で日本画を専攻していたんですが、当時は写真にはまり、写真撮影と暗室をひたすら往復する日々を送っていました。
ある時、ひとり旅で立ち寄った倉敷でふらふらと夜の倉敷を撮影しようと歩いていたときに、地元の中学生男子に会いました。話しかけられて、倉敷のことをいろいろ教えてもらいながら話していたんですが、彼も写真が趣味で写真同好会に所属しているらしく、「写真同好会はダサイと思われてる・・・」とちょっとすねたように話をしていました。
その頃から、この疑問を持っていた私は「キターッ!」と思って、「いやいやいや、大人になったらカメラマンって超かっこいい職業だからっ!」ということを力説していたと思います。(笑)
でも、なぜ中高生の頃には「写真同好会」がダサく見えてしまうのか、その謎はまだよくわかりませんでした。実際のところ、私も中高生のときは「演劇同好会」とかちょっとダサイ集団とかに見えていたんですよね。(笑)
その中に魅力的な人がいても「友達にはそれは言えない」みたいな雰囲気もありました。
そしたら今日、テレビで、俳優の堺雅人さんがその理由のヒントになるようなお話をしていたんですよ。その時の話は、なぜアマチュアバンドはモテるのに、アマチュア劇団はなぜモテないのか、みたいな話だったと思います。
「生乾きの自我を見せられると、引いちゃうんじゃないですかね。」
・・・生乾きの自我!
唸りました。
もやもやとして説明のできないものを文章で表現してもらうとすっきりします。
この時は、アマチュアバンドは既存のコピーをしていることも多く、その既存のイメージがあるから「生乾きの自我」が見えにくいのではないかというお話もされていました。
これを中高生の感覚に置き換えると、
自我が形成されはじめる頃、同じ世代の「生乾きの自我」に拒否感を感じるのかもしれない。
大人になると、いい意味でも悪い意味でも、他人の「生乾きの自我」なんて無視されます。
だから「いい感じに乾いた自我」の人たちだけが目に映って、「かっこいい」というイメージを持つようになるんでしょうね。
でも大人になると「生乾きの自我」をうまく表現につなげていく人もいる。
そのキーとなるのは、「客観性」を持てるかどうか。
気をつけよ。(笑)
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